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日本グランプリ

日本グランプリは日本で行われるその年の最高峰のレースという位置づけです。
初めての日本GPは1963年5月3日にその前年に建設された鈴鹿サーキットで開かれました。
翌年には東京オリンピックや東海道新幹線開通という日本の夜明けとも呼ぶべき大事業が成し遂げられました。
 当時は市販車でのレースで海外のマシンが圧倒的に強く優勝はロータスのピーター・ウォー(1980年代を知るファンはご存知でしょうがロータスのマネージャーでした)私はあることで嫌いな人です。
DSCN0448.jpg

たぶんこれです~~^^フロントにロータスのエンブレムがあるでしょ?
当時四輪レースをした日本人がほとんどいなく、アウトインアウト、スローインファーストアウトすら満足にこなせず、FFはインインアウトで回っていくんだって噂まであったそうで、日本人がかなうわけないですよね~~
 
1964年弟2回日本GP、なんとか日本車も一矢報いようと力を入れてきたのですが、またもや海外のマシンの独壇場、式場壮吉選手が持ち込んだプライベーターポルシェ904によって制覇することはなりませんでした。このマシンを見た日本のメーカーには衝撃的でした。
ポルシェは重心も低くスタイリングも抜群、日本車と言えば普通のセダンタイプ、まるでエイと亀の競争に思えたそうです。
そこで話題になったのが生沢徹選手でした。一瞬だけでしたがその最強の強敵であるポルシェを抜いてトップに立ったのですから。
彼はこの後海外に挑戦したりして日本のトップドライバーとして活躍していくんですね~
 
翌年は中止になり1666年弟3回日本グランプリは場所をフジスピードウエイ(FISCOこれって今でもこう呼んでるのかな?)で開催されました。
ここで何とか社運をかけて開発して来たのがプリンス(後にニッサンに合併)でした。
この年が人によっては日本レース界の夜明けって呼ばれてます。
プリンスはフジを走り込み重力式の燃料給油装置(ただ単に燃料タンクを高いとこに吊るしてあるように見えましたが・・)まで開発しレースに挑みました。今で言うテストですね~ってぐらい当時はいい加減な日本レース界だったらしいです。
最強の相手はポルシェ・カレラ6(滝進太郎)、当時リアルタイムに世界のレースで活躍している車です。
しかしプライベーターポルシェ対ワークスプリンスの戦いは綿密な作戦を立てたプリンスの勝ち!給油タイムがポルシェの1分に対してプリンスの15秒、給油で引き離されてしまったポルシェの滝はヘヤピンでスピンノーズを傷めてしまいプリンスの勝利となりました。
それがプリンスR380です。
DSCN0450.jpg

前前年度に活躍したポルシェ904にそっくりなんですね~~
優勝はプリンスR380(砂子 一義選手)ですが、その時カレラ6を押さえに回った生沢選手の活躍なくしてはこの優勝もなかったかもしれません。
DSCN0449.jpg

これはホンダS800で1966年発売となってましたがリザルトの上位には結果が載ってなかったので出場したかどうかは分かりませんが、この車も私達年代の憧れ車で、私の友達も1年だけ乗ってたんですよ~~!
このように1960年代の日本GPはスポーツカー全盛時代、この後プリンスR380はニッサンR380―2となってR38シリーズで活躍、トヨタは2000GTなどの名車を生み出し、やがて打倒R380を掲げトヨタ7などの名車を生んで活躍していくのでした。しかしこのビッグマシンの激突に沸いた60年代日本グランプリは、1969年以後2度と開催される事はなかったのでした。あまりにも急激なマシン開発費用の増加と度重なるトヨタ専属ドライバーの死亡事故、公害問題やオイル・ショックなども重なりトヨタも日産も急激に活動を中止してしまったのでした。
翌年1970年いよいよ私が知ってる日本グランプリはフォーミュラカーのレースに衣替えして再スタート。1974年には、前年に起きたオイルショックの影響で開催が中止になるといった問題を乗り越えつつ、現在の日本GPへ続いてくるわけですが、それはまた後ほど
本日はこれまで~~~
参考はコレ

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テーマ:モータースポーツ - ジャンル:車・バイク

  1. 2005/11/26(土) 02:06:14|
  2. セナ太郎
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